2014年1月1日

追悼 大瀧詠一さん

大瀧さん、休止じゃなくて急死だなんて。

大瀧詠一さん急死 65歳 「幸せな結末」などヒット曲:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312310018.html
 「幸せな結末」などのヒット曲で知られ、実験精神あふれる曲作りで日本のポピュラー音楽界に大きな足跡を残した、ミュージシャンでプロデューサーの大瀧詠一(おおたき・えいいち、本名大瀧栄一)さんが30日、東京都内の病院で亡くなった。65歳だった。
 警視庁や所属レコード会社によると、30日夕方、瑞穂町内の自宅で果物を食べていたところ、突然倒れ、家族が119番通報した。病院に搬送されたが、解離性動脈瘤(りゅう)で亡くなったという。通夜、葬儀の日程は未定。
 岩手県出身。1970年、細野晴臣さんや松本隆さんらとのロックバンド「はっぴいえんど」でデビュー。ロックを日本語で歌う、当時としては画期的なスタイルが話題を呼んだ。

2013年は私が多感だった頃に大きな影響を与えてくれた方々が亡くなられた年、ということになってしまったようです。大晦日になっての訃報、びっくりですよ、ほんと。

NHK紅白歌合戦で「あまちゃん」で「岩手っ!」と盛り上がっていたときに大瀧さんも岩手出身だったよな、なんてことを思い出し。

年初の山下達郎氏のラジオ番組での対談、あれを最後に聴いたのはいつだっただろうか。FM放送聞かなくなっちゃったんです。ごめんなさい。

私の世代だと「はっぴいえんど」はすでにずっと前の話だったから、あの "A Long Vacation" でその名前を知ったのかな。当時から天の邪鬼だった私はリアルタイムで接していたのに購入せず。SONYからCD発売となったときの最初のシリーズに入ってましたけど、私がこのCDを買ったのは廉価盤になってから。すみません、後追いで。

1980年代は「はっぴいえんど」の細野氏はYellow Magic Orchestra、松本氏は松田聖子「風立ちぬ」などの楽曲提供、そして大瀧氏の作品と「はっぴいえんど」の残り香がしていたんですね。(森進一に「冬のリビエラ」、小林旭には「熱き心に」などなど)

1986年夏、レコード・コレクターズ誌の「サーフ・ミュージック」特集。
この号でこの人すげぇなと思ったのが印象深いです。音楽だけの人じゃないんだと(いや、音楽の話なんだけどもさ)。あの号からレココレは立ち読みするだけの雑誌じゃなく、買う雑誌になりました。

ディック・デイルはそれ以前から東芝EMIが出していたビーチボーイズのLP盤買ったり、周辺の音楽を聴いてたから知ってたけど、そういうことだったかと、音楽史なんだよなと思ったものです。
(タランティーノの映画「パルプフィクション」で使われて有名曲になりましたね)

そうそう、ビーチボーイズ、当時はイマイチな評価だった日本で、現在の日本での評価につながったのは、大瀧さん、山下達郎さん、萩原健太さんのおかげです。

CDを買い始めた頃に買ったクレイジーキャッツのCD監修。(クレージーキャッツ・デラックス )解説はもちろん愛情たっぷりで中味もこってり。その後の人生訓になってます。

Internetな時代になって中味の濃いコンテンツを提供してくれた大瀧さん。(現在のコンテンツとは比較にならないぐらい濃いものでした)
野球から落語、そしてクレイジーキャッツ。博識ぶりが堪能できる内容で追いつくのが大変でしたよ。
大瀧さんがやっていたラジオ番組をリアルタイムで聞いていた世代、地域がうらやましかったです。大瀧さんの番組を通じてキャロル・キング、ゴフィン/キング作品を知りたかったですもん。

そうそう本業では、1990年代は大瀧氏関連アルバムのリイシュー、ちびまる子ちゃんの音楽を手掛けたり、渡辺満里奈のアルバムをプロデュースしたり。
シャネルズ(その後のラッツ&スター)とかシリア・ポールとか、過去の大瀧関連作品を買っては聴きまくり、その後「はっぴいえんど」に遡りました。

21世紀になってからは過去作品のアニバーサリー盤を買い求め、ほんとこの人は妥協しないんだなぁなんてこと思ってました。

さてこれからどうするのかな?このままアニバーサリー制作が続くのかな?と思っていたらあまりにも早い、突然のできごと。
ご冥福をお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿