Jazzという音楽のジャンル、一時期は熱心にレコードを買い求め、熱心に聴いたものですが、過去の音楽になってしまっているという点で魅力を感じ無くなり、今では過去の名盤を聴く程度のお付き合い。
1960年頃には終わりを迎えたジャンルというのが私の印象。
フリージャズというものの流行、マイルス・デイヴィスが電化とJazzは「進化」していった歴史があるわけですが、1970年代には聞き心地の良いとされる「Fusion」となり、1980年代にはマルサリス兄弟らの「新伝承派」というもので原点回帰。
この頃からはリアルタイムで接しているので、クラシック音楽と同様、「権威」が幅をきかせ、譜面をなぞるだけの音楽になってしまったように感じたものです。
1980年代に出会ったソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」(1956年)はやっぱり名盤だと思うし、マイルスの1950年代の録音は良いなと今でも感じるし、セロニアス・モンクやバド・パウエルには凄さを感じます。
ヴォーカルものではブロッサム・ディアリーは大好きで(高校のときにVerve時代のレコードを買い求めたのが最初)、その後も年代問わず愛聴しているけど、Jazzのメインストリームからすれば異端な存在。
1980年代以降でもカサンドラ・ウィルソンのような評価すべき人もいるけど、Jazzなの?と問いかけられると、そんな定義とはちょっと違うようにも感じています。
Jazzを音楽大学で勉強するようになったのはいつの頃からなのかわかりませんが、Jazzというジャンルはクラシカルな音楽と同様、「権威化」と「芸術化」に至ったのは関係があるんじゃないかなと思います。そうなると大衆音楽の持つ猥雑さがなくなり、純化され、つまらないものになってしまうと思うのですけどね。
Jazzという文化はすでに終わったもの。Jazzの過去の資産(多くは1960年以前に録音されたもの)を再発し、発掘したマスターテープからCDを制作し、とJazzの「新譜」は相変わらず登場しているけど、こんなに一生懸命「発掘」しているのは日本ぐらい。
(日本と同様、Jazzの人気が高いヨーロッパでもそこまでの発掘は行われていません)
Jazzという音楽が連想させる「酒とタバコ」。(最近はそんなことないの?)
そんな音楽に浸ってる自分ってかっこよくない?という自意識過剰な風潮はいつまで続くのかなと思う次第。
CDでは何度も再発が行われ、K2リマスタリングやらXRCD化。
最近じゃハイレゾ音源になって過去の遺産をまた売りつけるという現状。
Jazzはもうクラシックスタンダードになって、ありがたがって拝聴する時代じゃないと思うんですが、まだまだ続きそうです。
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