なんでこんなにすっぽり抜けていたんだろうと思って考えてみたところ、「ブリットポップでメディアが踊っていた時期」にカーディガンズを聴いていたってことを思い出しました。1995年あたりですもんね。
トーレ・ヨハンソン関連のアルバムは片っ端から聴いてました。もちろん原田知世も含めて。
当時の私は、イギリスのバンドより、「スウェーデンのロックというブームに踊ってた」わけですね。なるほど。
(いま調べてたら遊佐三森にも彼の関連作があるってことを知りました。まぁその程度の追っかけ度合いですね(苦笑))
私の1980年代音楽消費は「イギリス>アメリカ」でしたんで、1980年代の延長線上にある1990年代のイギリスの音楽なんだってことを考えれば、まあそうなるってことでしょうか。(1990年代は「イギリス<アメリカ」になりました。イギリス音楽の「暗さ」みたいなものを避けていたのかも)
ポール・ウェラー(Paul Weller)のソロ作はスタイル・カウンシル(Style Council)からの付き合いでたいてい買っていたし、Everything But The Girl(以下、EBTG)のアルバムも1980年代みたいに熱心に聴いたわけじゃないけど中古で安ければ買ってました。(あ、中古だからリアルタイムで追いかけてないか)
Style Councilの音楽は当時の私からしてみるといろんな音楽のおいしいとこ取りをしたバンドで、Bossa Nova風もあればMotown風もあり。「耳心地のよいメロディー」で当時「おしゃれな音楽」として売られてました。
実際は「過激な歌詞」(サッチャー政権を批判するモロ左翼な歌詞)なんだけど、で日本語訳を読まなきゃわかんないですもんね。("Internationalist"や"Shout To The Top"など)日本語歌詞だったら絶対に拒否反応が出そうな層にまで持てはやされていたのが実際のところ。
日本語だと佐野元春の"Cafe Bohemia"収録の"インディビジュアリスト"という曲が Style Council の"Internationalist"にそっくりなんだけど歌詞は全然違うものになってますね。
Style CoucilのBossa Nova曲もいま聴けば「なんちゃってBossa」なんだけど、それは本物のBossa Novaを聴いた今だから思うこと。(小野リサだってデビューしてない頃ですから)
当時のイギリス、サッチャー政権は「新自由主義」を着々と進めていたわけで、もともと階級社会のお国だけにスト多発、炭鉱ストなんてのも頻繁でした。(映画「リトル・ダンサー」(原題 "Billy Elliot")を観ると当時の背景がよくわかると思います。DVDが高いんでレンタルでぜひ)
最近のイギリスでの「暴動」、進行形のアメリカでの「デモ」。ともに1980年代を根っことするものへの「反動」なのじゃないのかと。
歴史の勉強じゃないけど、ミュージシャンの名前やアルバムを暗記するのはつまらないけど、いろんな切り口で見てみることで「つながり」がわかると面白くなってくるというのは音楽でも一緒だなと思います。
なので、あえて1990年代のイギリス音楽、ブリットポップなるものを追体験してあれこれ考えておりますが、1990年代、中華圏のポップスやブラジル音楽なんかも含めてあれこれ聴いていたんだなぁと改めて思います。同じイギリスでもジャミロクワイ(Jamiroquai)はリアルタイムで聴いていたし、「ブリッドポップ」をあえて避けていたような感も。そんなつもりは無かったんですけどもね。
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