最初のページにはこんな記述があります。
100年ほど前。一軒の農家が、農閑期の内職として始めた鯖江のめがね作り。
雪国育ちの誠実で忍耐強い気質で、ひたすらに手を動かす。
金子眼鏡の根底に流れる職人の技と心。
福井県鯖江地域でのメガネ作りのスタートを紹介した一文なのですが、これはおかしいです。はっきり書けば嘘。事実を矮小化しすぎています。
>100年ほど前。一軒の農家が、農閑期の内職として始めた鯖江のめがね作り。
事実は、増永五左衛門(ますながござえもん)という豪農(地主ですね)で若くから村会議員を務めてきた人がキーマンなので、決して「一軒の農家」ではありません。
しかも、最初から自前の工場を使い、地元の人間を工員として雇い、大阪から職人を招いてのメガネ作りがスタートしています。なので「農閑期の内職」でもありませんでした。(工員の中には大工もいましたし)
このスタートが明治38年6月1日とされています。
増永五左衛門がはじめた会社が現在に至る増永眼鏡です。
明治38年=1905年が増永眼鏡、福井県鯖江地域でのメガネ作りのはじまりとなります。
詳しくは、以下のサイトを読んで欲しいのですが、こんな矮小化されたレベルでのはじまりだったわけではありません。
明治・大正・戰前期に福井経済を牽引した起業家や経済人の事績
眼鏡産地の基礎を築いた先覚者 増永 五左衛門(ますなが ござえもん)
http://okhome.fc2web.com/mp/mp013.html
小説化もされています。
「おしょりん」 藤岡 陽子(著) ポプラ社
明治三十八年、福井県麻生津村。増永五左衛門はこの地に産業を根付かせるべく苦闘していた。そんな時、弟の幸八が村でのめがね枠製造を提案する。村人たちの猛反対の中、二人は困難な道を歩み始めるのだった―。めがねで世界を変えた、兄弟の魂の物語。
事実を脚色しつつの小説なので、日本のメガネ製造史を知る一冊というわけにはいきませんが、ぜひご一読を。
決して、『一軒の農家が、農閑期の内職として始めた』ものではないことがよくわかります。
鯖江でのめがね作りの歴史を引用しつつ、自前のものにしてしまう金子眼鏡は、なぜ増永眼鏡の創業時のことを矮小化するのはなぜなんでしょうかね。
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