2013年4月11日

AM放送ってなんだ?

先日書いた「ラジオ放送のデジタル化が見送りに」という投稿が結構多くの方に読まれているようですんで、書き漏らしたなと思う点を。

昔の話なんで記憶が曖昧ですけど、NHK第一(JOAK)の開局70周年特番だったと思うんですが、「未来のラジオ」みたいな話がされていたのが記憶に残っています。(70周年だとすると1995年ですかね)

「未来のラジオ」として「ラジオ放送のデジタル化」もその中で話され、「ラジオ放送のデジタル化かぁ」「でもそんなにメリット無いよな」と思ったのがその時。
(たしか連休中の遠出の際にクルマの中で聞いていたと記憶してます)

「私とAM放送」
AM放送には愛着がありまして、小学生のときにポータブルラジオ(SONYのAM受信専用)を買ってもらったのが初めての(自分の)ラジオでした(初めてのソニー製品でもありました)。

単3電池2本で動くごく普通のAMラジオでしたけど、かなりうれしくて地元民放のAM局はもとより、関東エリアのAM局をあれこれ聞いてました。
(いまの子供だとこういう機会は「ラジオ」でも「テレビ」でもなく、「ゲーム機」なんでしょうか)

数年後にようやく念願のラジオカセット(ラジカセ!)を買ってもらって大喜び。
ステレオラジカセが39,800円を切った頃だったので、ステレオラジカセ。ラジオの性能が上がって夜中だと結構遠い局でも受信できるようになったのでベリカード集めなんかもしてました。

ラジカセには今と違って外部入出力端子が付いていたので、これにFMアンテナを足したり、ステレオチューナを買い足したり(内蔵のラジオじゃ不満に思えてきたのですよ)、カセットデッキを足したり(これでダビングできる環境ができた)、アナログレコードプレイヤーを繋げたり(レコードを買うという習慣ができた)というのが、私のオーディオ体験になってます。
(その後、プリメインアンプ、スピーカと買いそろえ、初めてのステレオラジカセは「お役御免」に)

閑話休題。
音楽に興味を持つようになるとFMラジオ放送が主なり、隔週で発売されるFM情報誌を買い求め、番組表を細かくチェックしてというのが中学生になってから。
AM放送をあまり聞かなくなりましたが、これは時代的なものもあるのかと思います。
(NHK-FMがクラシックばかりの今となっては考えられないけど、1990年代途中までは「非クラッシック比率」が高かったんですよ。坂本龍一氏やピーター・バラカンさんの番組がレギュラーだったんですから)


話は変わって、「AMステレオ放送」というものがありました。(過去形にしてるけど、後述の通り現在も存在してます)

日本では1992年にAMステレオ放送が開始されました。
当時はFM情報誌を毎号買ってた頃だったので対応ラジオの特集記事を目にしていましたが、AMステレオ放送を受信するラジオは結局買いませんでした。

通常のAM放送はモノラルなんで、これをステレオ放送にすることでスポーツ中継(プロ野球の『ナイター中継』)の臨場感を増すとかそういうのが理由だったようですが、NHKがAMステレオ放送を導入しなかったこともあり、先細りに。(1990年代後半まではAMステレオ放送局が拡大、2007年以降はAMステレオを終了する局が増加)
で、現在AMステレオ放送を続けているのは、「ニッポン放送」「CBCラジオ 1053kHz」「大阪放送」「和歌山放送」のみとなってます。
(実際には Internet を使う radiko でステレオ放送をやってたりするんで、AM放送の番組をステレオで聞く機会は増えてたりするんですが)


放送局側の都合には、「お金」だけじゃなく、AMステレオ放送を継続するために必要な機材の調達が困難になったからという「モノ」的な理由も含まれています。(デジタルっぽい機材かと思ったらアナログ系のパーツらしいです)


AMステレオに対応する受信機(ラジオ)もいろいろ発売されたけど、結局は普及しないまま。

SONY FMステレオ/AMステレオポータブルラジオ SRF-A300
http://www.sony.jp/radio/products/SRF-A300/


AMステレオを体験しないまま放送局側の都合でどんどん「終了」してしまったということになってます。(前述の通り、radiko で体験できますけども・・・)

AMステレオ放送の場合、従来のAM放送と互換性があったにも関わらずそういう状態になってしまったわけで、今回の「ラジオ放送のデジタル化見送り」はやむを得ないとも感じます。

放送がなんのためにあるのか、放送とは何ぞやと考えた場合、既存の受信機を使えなくするような施策はかなりハードルが高いこと。(地上波アナログ放送の停波は「国策」で「補助金」を出したからこそできたこと)


3.11の震災前にはラジオの無い世帯が多かったようだけど、震災直後はラジオ不足になったのは記憶に新しいところ。
震災直後の停電生活では、ラジオだけが「正しい」情報源。
ラジオで流されるスーパーの販売状況(○○スーパー△店は何時から何時まで、県内の情報を放送)を頼りに(棚がガラガラの)スーパーマーケットに並んだりというのもついこの前の話。
放送ってライフラインでもあるよなと強く思ったものです。

ラジオ放送の場合、画面がありませんからクルマを運転しながら、料理など家事をしながら、(職場によっては)仕事をしながら聞くことができるのがメリット。

ラジオ放送ならではのラジオドラマもまだまだ残っていて、NHK第一は「新日曜名作座」、TBSラジオは「司馬遼太郎短編傑作選」が放送中です。テレビドラマと違った感覚で楽しめるんで、もともとテレビがあった世代にも新鮮なんじゃないかと思います。

特定の層に向けた放送(今日は一日○○三昧)でラジオを聞くきっかけづくりもいいけど、特定の層をレギュラー化(NHKでのAKB推し)、聴取者のターゲットを変えた番組づくり(NHK昼帯で山田まりや起用の「午後のまりやーじゅ」)だと既存の聴取者を失うことになるんじゃないかと思います。(実際、それまでこの時間はNHK第一を聞いてた母がこの番組に文句を言ってます)
(終日、「深夜便」化されても困りますけどね)



関連
「災害とラジオ」 一年経ったらやっぱりラジオ離れになるのかな
ラジオ放送のデジタル化が見送りに
「今日は一日○○三昧」- NHK-FMの「良心」なのか「免罪符」なのか

0 件のコメント:

コメントを投稿