2015年12月21日

映画館 - 同時上映が当たり前で途中の出入りできた頃

映画館にはここ数年行ってません。「シネコン」になってから何度か行ったことはありますが、最近の映画館の仕組みってのにどうも違和感があって、足が遠のいています。

小学生のときはサンリオ映画、どこぞの友だちの親が同伴でというパターンが多かったかも。中学生の頃になるとさすがに友だちと(親の同伴無しで)一緒に出掛けてというパターンでしたね。
元気の無くなっていた日本の映画というジャンルに角川映画という勢力が出現してという時期でした。(薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の「角川三人娘」ね)

当時の水戸市内には単体の映画館がそこら中にあったので、あちこちで観た記憶がありますが、そのほとんどが現在は無くなっているようです。(駅に隣接したビルにシネコンがあるらしいし、郊外にはイオンモールにシネコンがあるらしい)

高校生の頃はあんまり映画観た記憶が無いです。
学校行事で市民会館で「寅さん」と「クレイマー、クレイマー」を見に行ったという記憶だけが鮮明です。(この時が初寅さんでした)
いったいどういう基準で選んだ2本なのか未だに謎ですが、男がほとんどな学校でしたが、放浪癖のある主人公の映画、女性に捨てられた父子の映画というのは「こうなるな」という教育だったのか、「こうなってもなんとかなる」という教育だったのか謎です。


それ以降は、授業の合間に寂れた地方都市の映画館で長い時間を過ごす場として映画を観ていました。
完全入れ替え制の現在に比べ、当時は上映中でも出入り可能でしたんで、映画の最後から見始めて、同時上映の映画を頭から最後まで観て、それからまたお目当ての映画を頭から観てという感じ。一回でわからなければ(時間がたっぷりありましたんで)この繰り返しを続けて観るという感じでした。

ベトナム戦争を新たな切り口で描いた「プラトーン」(プラトゥーンだと思うんだけど)を観に行って同時上映がたまたま「サボテン・ブラザース」だったり、アメリカでの人種差別問題を描いた「ミシシッピー・バーニング」を観に行ったら、「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」だったりして、なんで硬派な映画の同時上映がコメディ、しかもノリノリだった時期のスティーブ・マーティンなんだろうと思ったものです。
(以前も書いているけど、「ビギナーズ」を観に行ったら同時上映が「エルム街の悪夢」で怖い系の映画がますます苦手になったりという経験もあります)

社会人になってから映画館で観たのは、仙台駅東口側の小さな映画館で上映していた「ニュー・シネマ・パラダイス」でした。就職してから初めての赴任地から帰省する途中に観た映画でした。(同時上映は無し。入れ替え制でした)

てな感じで、結構同時上映って大事だったなぁと思うんですよ。好きじゃ無い組合せもあるだろうけど、同時上映でたまたま観た映画なのに、そっちの印象の方が強いなんてこともあるわけで、それが良いことなのかどうかはわかりませんが、もったいないから観てみたら結構自分の好みが発掘されていくような感じは、似たようなものばかりお薦めしてくる現在の仕組み(社会)からすれば結構貴重な経験だったなぁと思う次第。

繰り返して観てようやくわかるような映画には、入れ替え制で都度料金を払うという現在の仕組みはやはり向いていなくて、映画館に長居して同じ映画を三度も観ればという方法が使えないのは残念だなぁと思うわけです。
その分、有料チャンネルに代表されるように、映画のテレビ放送、高画質での録画という現在の仕組みがあるから、それでいいじゃんと言われそうですけどもね。(同時上映の意外性のある発見は得られないと思うけど)

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