2014年4月14日

ことば - 「三陸鉄道全線開通」と「復興」

三陸鉄道が全線運転再開というニュースが流れてましたが、北リアス線と南リアス線の間にある「JR山田線」の釜石駅 - 宮古駅間は相変わらず運転してないってことご存じですかね?

ニュースでは「これで全部つながった」みたいな目出度い話として紹介されてたけど、北リアス線と南リアス線の「間」はまだどうなるのか決まっていません。

日刊工業新聞 (掲載日 2014年03月05日)
東日本大震災津波で被災の山田線復旧-JR東日本、道筋描けず
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1120140305caaw.html
しかし山田線では、JR東と地元自治体などで構成する「山田線復興調整会議」における協議が不調。あくまで鉄道の復旧を望む地元自治体とJR東の主張が平行線をたどり、宮古―釜石間(55・4キロメートル)の復旧の見通しが立たない状況にある
すでに気仙沼線がBRT(専用道路も通るけど結局はバスです)という形で営業を始めていますが、もともと赤字路線なわけで、いっそ廃線にしてしまいたい、余計な出費は控えたい、という事業主側の見方も理解できます。
(三陸鉄道の復旧は国費が投入されています。JR東の山田線、気仙沼線などはJR負担になるから復旧されないままってことです)

じゃ、そもそもなんでこんな沿岸に鉄道を?
という話はこの記事が詳しいです。

マイナビニュース - 読む鉄道、観る鉄道 (52) 鉄道の真価を知る1冊『線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅』
http://news.mynavi.jp/series/railmovie/052/
三陸縦貫鉄道構想 1896(明治29)年に発生した三陸地域の大地震と津波被害をきっかけに、陸の孤島と呼ばれた三陸地域を鉄道で結ぶ計画が発案された。しかし、国鉄の赤字問題により工事中断、途中まで開通していた路線も廃止が決定した。三陸鉄道はこの構想を継承する路線である
地震と津波で大変なことになったから経路を確保しなきゃ、というのがそもそもの始まり。しかも明治時代です。

昭和の大津波でもまたこの鉄道を開通させようという気運が高まったものの、その後の昭和恐慌、中国との戦争、そして太平洋戦争(第二次世界大戦)という時代でしたから、結局は国鉄時代に開通させることができず、1984年に第3セクターとして未開通部分を開通させ、国鉄が廃線にする予定だった路線を継承したのが、三陸鉄道という存在。

三陸鉄道は昨年の朝ドラ「あまちゃん」で有名になったし、実際に足を運ぶ観光客も増えたと報道されていますが、実態は騒がれているほどじゃなかったというのが数字として現れてきています。(○○億円の効果というのはあくまで試算値でしたから)

現実を書いているのが東京新聞の記事。

東京新聞:3年ぶり全線復旧 三鉄 更地の沿線 再生多難
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014040702000146.html
 三陸鉄道は二〇一四年度、全面復旧で乗客数を前年度から三十三万人以上増やし八十三万人とする計画だ。それでも東日本大震災が起きた一〇年度(八十五万人)には及ばず、人口流出などで目標達成も厳しい。被災地では資金の壁からJRの運休が続いており、鉄路再生の道のりは遠い。
 災害公営住宅など被災者の新居は主に駅から離れた高台に建つ。市街地の復興は進まず、三鉄では近くが更地の駅が多い。島越駅周辺では世帯数が減ったことで、商店も再建しなかった。

 沿線八市町村の人口はこの三年間で一万人以上減った。「あまちゃん」の効果で、一三年度の団体客数は二月までで前年の二倍近くに伸びた半面、定期券の客数は微増で、「観光列車以外は空気を乗せている」と自嘲する社員もいる。

昨年の三陸鉄道は2億円の赤字。(第三セクターだから許せる範囲?)
2013年4月〜2014年月の久慈市を訪れた観光客は150万人で前年同比で50万人しか増えていない。(「あまちゃん」効果でもこれだけと思いません?)

私もなんですが、「3月11日」が「記念日」に成り下がり、意識や記憶がどんどん薄れているように思います。
先日の「エネルギー基本計画」で原発が「基盤となる電源」と位置づけられ、再稼働が前提。しかも「もんじゅ」まで動かそうとしてるんですからねぇ。
「被災地」をアピールして(エサにして)オリンピックの開催を決めたけど、そのオリンピックに関わる工事のおかげで被災地の工事が進まないなんて、どんだけ地方を食い物にしてるんだか。

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