2012年4月22日

「お金を掛ける部分」の変化

1980年代まで、いや1990年代前半まで(Internetの普及まで)とそれ以降になるのかな。
テレビや新聞、雑誌からの情報がほとんどだった頃とWebからの情報がほとんどになった現状と言いますか。

情報の取捨選択なんてことで書き出すといかにもビジネス書みたいで嫌なんですが、「現状以前」を知っているものからすると「ありがたい」と思う反面、「これじゃ大変だよな」と思うことも多々。

  • 雑誌はどんどん休刊になり、
  • テレビは低予算化が進み、19時台の民放番組の「テレ東化」(国内低価格グルメ番組とかテレ東が得意な番組でしたよね)、プライムタイムじゃなくなったからというのも理由なんでしょうが、あまりにも低予算な番組ばかり。
  • 低価格で映画(DVD)のレンタルができ(旧作100円が当たり前)、最近ではレンタル店に行かなくてもいいという状態。

新聞は会員にならないとここまでしか見せませんよってことをしてますが、それなら他を見れば良いということにもなるのでバランスが難しいところ。(今は日経と朝日だけですが、産経が有料化するとは思えない)


どんどん「均質化」(homogenization)していく時代なんだから仕方が無いのでしょうが、
  • サブカルチャーだったものがどんどん「メイン」扱いになり、
  • NHKで言えば、このキャラは絶対NGだったのに今じゃ普通に出演
  • オーディオ用のスピーカで音を出せるの家の減少(なんでこんなにヘッドフォンが売れるのか)
  • 嗜好品であるビールは発泡酒、新ジャンルへと劣化、それでも市場は縮小
  • 自動車は尖ったクルマがどんどん減っていき、さらにマニュアルミッションの設定が絶滅危惧に
  • 音楽はYouTubeやニコ動で済ますという層の出現

モノの低価格化、簡単に入手できるという環境が揃ってきたからそれを利用しない手は無いのですが、やっぱり寂しい部分も。

そうかと言えば、ライブ(昔はコンサートと呼んでましたが)のチケットはどんどん上がっていますね。
アリーナで税込み7,350円というのは高いのか安いのか。
昔の感覚ですから「それに7千円も出すの?」(失礼な言い方だけど)と思ってしまうこともしばしば。

ビルボード東京での一覧を見ていたら、5月末にあるBootsy Collinsのライブが11,500円、13,500円となっていてびっくり。
たしかに編成も多いんだろうけど、Bootyのアルバムは何枚も持っていて何度もはまったことがある私ですがさすがに無理という感じがしてしまいます。

ビルボード東京に関しては、フロア構造を見るとかなり充実しており、かなり良い環境なんだなということがよくわかります。それも含めたとしての値段、うーん、どうなんでしょう。
(逆に2009年の土岐麻子さんが4,000円、6,000円となっていて、その「良心的な設定」に安堵してしまいました)

山下達郎さんのように「アリーナで公演しない」という方がいるだけまだ良いのかな。

出すところには出すけど、出さなくて済むところに出さないというメリハリがはっきりしてきたってことなんでしょうかね。

握手券や投票券のためにだったら散財するというのも趣味の一つなんでしょうが、カード集めるためにチョコレート菓子という商売の延長でしょうし。

ものごとがどんどん均質化していくのでそこから外れた少数派になると大変。
本当に欲しいものが手に入りにくい時代でもあります。


脱線すれば、1980年代〜1990年代前半の日本映画の実態を知っている者からすれば、今の日本映画の盛り上がり方はすごいなと思います。Vシネマに依存してたとは思えない復活ぶりです。
(番組宣伝がすごいだけという感じもするけど、実際にお客さんが入っているようですし。「映画」のコンテンツビジネスの確率というのも大きいのかな)

最初は「情報過多な現状からいかに自分の好みを見つけるか」などという大層な題目にしてみましたが、全然まとまらないので「お金を掛ける部分」がどう変わってきたのかってことでまとめました。(全然まとまらなかったんですが・・・)

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